なんかよく知らない戦国武将を付け焼き刃の知識で分かった気になろうの回
今日は「知ったかぶれる!!名前だけ知ってる戦国武将7人」についてです。
なんか最近「好きな戦国武将」を聞かれることが多かったんですよね。たまたまですけど。
全然戦国武将の名前が出てこなくて恥ずかしかったので、今回のブログで付け焼き刃の知識を得てやろうと思っています。
世界史も日本史もストライクゾーン外のボール球くらい興味なかったからなぁ…あ、イチローだけにね。選球眼の話ね。あぁなんかうまいこと言いたい…。
まぁとにかく自分の地域を治めていた戦国武将くらい知っていた方がいいかな、とミドサーになって思ってきたイチローにお付き合いいただく回です。
今日は戦国武将の話。
戦国時代(一応の目安としては、応仁の乱前後から大坂の陣終結までの時期)に、日本国内で名を馳せた武将たちに関するカテゴリ。
Wikipediaより
知ってそうで意外と知らない戦国武将の7人・兜やら甲冑やら
まずは今日紹介する知ったかぶりたい戦国武将の7人を紹介します。
- 甲斐の守護大名・武田信玄
- 越後国の大名・上杉謙信
- 出羽国と陸奥国の戦国大名・伊達政宗
- 大坂夏の陣で大活躍・真田幸村
- 北近江の戦国大名・浅井長政
- 薩摩国の武将・島津義弘
- 安芸の領主・毛利元就
この7人知っとけばきっと大丈夫だよね?今までだって知らない歴史上の人物が話題に挙がるたびに「それって巨人でいうと誰?」という質問を浴びせ続けてきたイチローにとっては格段の進歩である。
さてさて、さっそく順番に見ていきましょう。
実は慎重派の戦上手「武田信玄」について

風林火山の文句や最強の騎馬隊を有する赤備えの軍団などで有名な武田信玄
めちゃくちゃ戦争が強いイメージの武田さん。申し訳ないけど本人のことはなにも知らないのに信玄餅だけはめちゃくちゃ好きだった。チコちゃんの前に騎馬隊に怒られるわ。
川中島の合戦では上杉謙信とぶつかり三方ヶ原の戦いの時点では家康さえも破るほどの戦力を持っていたそうな。すげ〜。超つよいじゃん武田信玄!

ただ武田さんは騎馬隊をはじめとする「イメージ戦略」で戦国時代を生き抜いてきた側面も大きく「勝利する戦い」というよりも「負けない戦い」をする武将だったそうです。
その論拠として、信玄が亡くなってしまって「強いイメージの武田家」を勘違いして引き継いだ息子はすぐに織田信長に滅ぼされてしまった…
ふーん。なるほど。戦国時代からライアーゲーム顔負けの情報戦が繰り広げられていたのだなぁ。

武田家の甲冑は合戦場に映える真紅
武田さんの鎧は赤いです。実用性とかそういうのはさておき強そう。戦場で目立っちゃうんちゃう?
鎧や甲冑にこだわったりするのも武田信玄のイメージ戦略によるところが大きいのだろうかどうなんだろうか。
兜も赤鬼の様で強そうですがこの白い毛は当時の日本では非常にレアな「ヤクの毛」を使用していて甲斐国(現在の山梨県)の国力の象徴だったとか。
とりあえず武田さんをまとめてみると、山梨・長野・赤い馬って感じで覚えておけばよさそうだ。よし覚えたぞ。
敵に塩を送る優しき武将「上杉謙信」について

軍神とまで言わしめた戦の天才であり越後の守護神
武田信玄の最大のライバルらしい「上杉謙信」さんは関東の統治を室町幕府から請け負った武門のエリートだそうです。
“けんしん”の知り合いには「飛天御剣流」の人しかいなかったイチローにとってはカルチャーショック。新たな出会いに乾杯。いや名前は知ってましたけども。
川中島の戦いにおいて相手の武田さんに塩を送った逸話が有名になり「敵に塩を送る」という言葉が生まれました。ソルト上杉と呼ぶことにしよう。これはリスペクトである。

手取川の戦いでも織田信長に勝ってるし上杉謙信が長生きしてたら歴史も違ったのかもしれないなぁ。
歴史のことでたられば言ってたらキリがないけれど、いろいろ調べてみるとかなりお強いお方だったことがわかる。
ちなみに新潟で有名な”越乃景虎”ってメチャクチャうまい日本酒があるんだけど、景虎ってのは上杉さんの若い時代の呼び名だったらしい。急に親近感湧いてきて困る。

上杉謙信公の兜の前立てには妙見信仰の教え「日月信仰」がもとになっていると言われている
地酒の名称になっているだけあって、上杉さんは無類の酒好きとして語られている話が多い。
日本酒を煽りながら馬に乗って戦った話とか…酒の肴にしていた梅干しや味噌のせいで高血圧になって死んじゃったとか…なんだか酒関連の話ばっかり出てくる武将さんです。
上杉さんをまとめてみると、酒豪・新潟・塩送るって感じで覚えておけばよさそう。
独眼流は伊達じゃない・・「伊達政宗」について

幼少期に天然痘にかかり右目を失うことになるが
乱世の世を生き抜く器の大きい武将に成長していく
独眼竜でおなじみの伊達政宗ですが、実際は眼帯をつけていた記録は残っていないようです。
歴史的には秀吉と組み北条氏を滅亡させ、秀吉亡き後は徳川家に仕え日本を治める重要な役割を担っているのですね。
宮城県の名産であるずんだ餅・笹かまぼこ・伊達巻は、全て政宗さんゆかりのものらしい。なんたるグルメ将軍。スピッツもビックリのマサムネぶり!

歴史の転換期に、豊臣と組むか北条と組むかギリギリまで迷った伊達さん。いわゆる「小田原遅参」の原因がコレですね。いまでいう「行けたら行くわ〜」って感じか?ちがうか。
そんなこんながあったため、天下人になった後の秀吉に結構なペナルティを食らってしまい一時は東北の一大名になり下がります。
生まれるのがあと数年早かったら間違いなく天下人になっていたであろうと言われるほど有能な武将だったけれど、小田原遅参のころはまだ22・23歳。かなーり難しい選択だったと思われる。
天下人になるには運とかタイミングも重要なのだと理解できるエピソードではある。

妙見信仰は日輪と月ともに仏の加護を表すため、
生まれながらに月の信仰を自然に受け入れていた伊達政宗
その後関ヶ原の合戦で徳川家に付いた伊達さんは見事勝利。仙台城を作って初代仙台藩主に就任。
いわゆる派手な容姿を「伊達者」と呼ぶのは伊達政宗が上洛の際に兵の衣装を豪華絢爛に仕立て上げた事が現代に伝わっているんですね。
有名武将だけあってかなり色々な逸話が残されている伊達さん。まとめてみると、グルメ・派手好き・独眼竜って感じで覚えてみようと思う。
驚異の二面性物腰の柔らかい鬼「真田幸村」について

大阪城の弱点を補う「真田丸」を構築し家康を追い詰めた
本名は「真田信繁」ですが「真田幸村」の名前で定着してしまった真田さんについて。
伝記というのは不思議でなぜ幸村の名前で伝わっているか詳細は分かっていないようだ。
まぁポカリスウェットの”ポカリ”だって響きがいいってだけでつけられた名前みたいだし、世の中の全てのことに意味があるなんて思わない方がいいのかもしれない。
真田さん。ポカリと一緒にされたら怒るかな。今日は戦国武将に怒られまくる回である。こわ。

真田さんは元々武田信玄の家臣をしていたお家に生まれます。風林火山の…馬に乗った…ほら、あの武将さんね。
幼少期は上杉さんのところに人質になったりして不遇な時期を過ごしますが武田家が織田さんに滅ぼされその後、豊臣さんに仕えることになって一緒に小田原城を攻めて天下統一に貢献する感じです。
ふへー。豊臣秀吉が天下統一しなかったら真田さんは日の目を見ることはなかったかもしれないのか…
どれだけ有能な人でも裁量というソリューションを与えられなければ活躍は不可能であるからして、このディスティニーは非常に尊いと言える。真田丸の知識しかないけど。

武の神である「建御雷命(たけみかづちのみこと)」の使者が鹿だった事が真田の兜の由来だとか
有名なのは何と言っても「真田丸」ですよね。イチローも見ましたドラマ。
真田丸ってなんなん?ってことをざっくり説明すると、天下分け目の合戦である「大坂の陣」にて豊臣方の大阪城を守るために作られた砦ってのが「真田丸」って名称なんです。
この戦の勇猛果敢な真田さんの闘いぶりが現在でも語り継がれているのです。
真田さん、結構地味と思ってる人多いと思うんですけど、徳川家康をあと一歩のところまで追い詰めたんですよ?すごいですよね。
砦もビックサンダーマウンテンくらいの大きさがあってほんと昔の人マジリスペクトって感じすパねぇ。真田さんは、真田丸・真田丸・真田丸って感じで覚えて話題に出てきたら力でねじ伏せてやりましょう。あとできれば大河ドラマ見ときましょう。
イケメン薄命リアル夜叉丸「浅井長政」について

織田信長も惚れ込んだ浅井の器量と人間性
現在の滋賀県に当たる「近江」を治めていた浅井長政さん。画像はアレなんですけど、かなりのイケメンだったそうな。
この土地は当時「近江を制すれば京を制す」とまで言われていた重大拠点。ディズニーランドでいえばあれだ。センターオブジアースだ。センターオブジ近江。不動のセンター浅井で覚えよう。

そういった政治的な意味合いも兼ねてなのでしょうが、織田信長は実の妹である「お市」を浅井さんに嫁がせるほど浅井さんの人間性に魅力を感じていたと伝記には記されています。
天下人すら惚れ込む浅井長政の人間性…スラダンの木暮くんみたいな人だったのかな。
高身長でイケメンで性格良し家柄良し。知らなかったけどメチャ高スペック戦国武将だったんだな浅井長政。

浅井は得より義理を重んじ最終的に義兄を裏切ることになる
ふむふむ。歴史が進み朝倉家と織田家が対立することになり浅井さんは板挟みにあいます。
義兄よりもそれまで付き合いを重んじた浅井さんは織田信長の降伏の勧めを受け入れず29歳の若さで自害します。
しかしお市とは信長との同盟が破棄された段階で離縁はせずにそのまま夫婦であり続けました。
このころの武将には珍しく本当に仲睦まじい夫婦であったと伝えられています。うわー。すごい。LOQ高すぎ豊かすぎ。イチローの中の浅井ランキングはベンジーに次いで第2位にまで急上昇している!すごい!
浅井にさんに関しては、お市・イケメン・滋賀・木暮って感じで覚えてみようと思う。
九州男児は文武両道「島津義弘」について

武力に優れ「鬼島津」の通り名で戦国最強を謳われる
漫画「ドリフターズ」の島津豊久の伯父さんに当たるのが「島津義弘」です。大好きな漫画だから島津さんは知ってたわぁ。
薩摩を統治する島津一家の次男として生を受け、めきめき頭角を現します。
ドラクエでいうとゾーマくらい強いらしい。いてつくはどう放ってくる感ある。そもそも島津家に生まれた時点で人生にバイキルトかかってる感もある。

ドリフターズ主人公の豊久は「関ヶ原の戦い」による小早川の裏切りで義弘の身代わりになってしまいますが、その助けもありなんとか生還することに成功します。
これは「島津の退き口」として伝承されていてとても有名なお話。知らなかったけど。
殉死を禁止したり「子は宝」の名言を残したり家臣思いの慕われ上司だったってのもすごく高感度が高い。やはり九州男児はひとあじ違うのだろうか。イチローは北関東男子である。ぴえん。
島津の兜飾りはそれぞれ水・剣・火を意味し、
水は対人関係や世間の流れ、剣は言葉、火は欲望を表す
島津義弘の戦の語り草は枚挙に遑が無く10分の1の兵力で敵を打ち破っただとか朝鮮出兵時には3倍以上の兵力の敵に打ち勝ったりだとか武勇伝がいくらでも出てきます。
義弘はそのほかにも、武将には珍しく茶の教養があったり和歌を嗜んだり医学に精通していたり非常に勉強熱心であった事が伝記で伝わってきます。
島津義弘はどうやって覚えよう…ゾーマ・九州・ドリフターって感じで覚えとこ。
酒は飲まない健康通「毛利元就」について
三本の矢についての伝承は性格には息子たちにでは無く家臣に未来を委ねた言葉だった
「西国の桶狭間」や「厳島の戦い」で有名な毛利さん。今知ったんだけど。
優秀な武将であったことは一代で中国地方を支配した手腕からも疑いの余地はありません。
なんか調べてみるとなかなかの健康通であったことがわかる。戦国時代の立川志の輔か?ガッテン!

伝記に残っているだけで220戦も合戦を行なっているなど戦国時代を象徴する武将の1人。戦いすぎだよ毛利さん!って名前のマンガが出るのも時間の問題かもしれない。
下戸ではなかったのですが、父と兄をアルコール中毒で亡くしている事から酒を一滴も飲まなかったそうで、毛利元就自身は健康的に74歳まで生きました。

「三本の矢」は吉川・小早川・両川の3名の家臣に協力して国を維持せよとの遺言だった説が有力
幼少期は孤児になったりかなり波乱万丈の人生を歩んできた毛利さん。
実の父も実の母も亡くし兄も側にいてくれなかった幼少期の毛利元就を支えたのは父の継母の「杉の大方」です。
実に義理深い人で毛利元就を見捨てることなく立派に育て上げられました。全俺が泣いた感動エピソード。これは泣ける。
そんな血の繋がらない母に感謝の念を伝える内容の手紙が残り、毛利さん自身の義理深さが伺えるエピソードとして伝承されています。
毛利さんはどうやって覚えようかな。酒は飲まない桃太郎で覚えとこうかな。岡山には桃太郎ランドあるしね。
戦国武将を付け焼き刃の知識で語ろう・まとめ
ってことで今日は「名前だけ知ってる戦国武将」ということでなんとなくまとめてきました。
最後の方眠くなってきて文章がザツになってしまうクセをどうにかしたい。でもすぐにアップロードしたいこの気持ち。風の中のプレシャス。そうだな……「メキシコに吹く熱風!」という意味の 「サンタナ」と名付けるのはどうかな?しらんがな。
今回この記事を書いたことでなんとなく戦国武将の人たちのことをザックリと分かったような気がしています。
この知識をもとにして人生を乗り切っていこうと思います。
今日も最後まで付き合ってもらってありがとうございます。なんか明らかに違ってたら教えてくださいね。
おやすみなさい。zzz




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