今日はインプット欲が湧いてこないのでなんてことない近況とかを書いてみる。
僕はいつも寝かしつけ担当なので、大抵23時くらいにやっと自分の時間を持てる。
ニュースも見たいしストレッチもしたいしアマプラのアニメも消化したい。
マンガも映画もゲームもCDも、そろそろ崩れそうなくらい積み上がってきた。
というか洗濯機もそろそろいっぱいだし、シンクには夕食の食器が積み上がってる。
それでもやっぱりこの時間はPCに向き合っていることが多い。
そして生活は続いていく。
見通しの悪い業界・PAのなんてことない近況について
僕は会社員としてPAという仕事をしている。
この仕事は結構特殊な職業で、人に説明しなきゃいけない時はいつも
「ステージで始まる前にワンツーって言ってる人」
みたいな説明をしてしまう。もちろんそんな仕事ばかりではないけれど。
近しい友達たちは僕のしている仕事の概要を理解している人がほとんどなので、今回の一連のコロナ騒動で色々な人から心配されてしまった。
「ライブハウスでのクラスター発生!」とか。
「劇場クラスター発生!」なんて言われてしまって…
まるで興行自体が悪の様な風潮の昨今では心配されてしまうのも仕方ないのかもしれない。
こんな状況だけど、フリーでエンジニアをしている友達とか、中央でホール管理をしている友達、
東京でライブハウスPAをしている友達なんかとは頻繁にオンラインで連絡を取り合っていたりする。
今日はその中で感じたことをとりとめもなく書いてみることにする。
たまにはただの日記でもいいよね。
ミドサー世代はあまり社会を信用していない・その理由
この業界(音響とか舞台)で働いている同年代の人たちは、今回のコロナ騒動で露わになった「興行資本の脆弱さ」に前々から気付いていた人が多かった気がする。
それは、新型コロナウイルス以前に東日本大震災を経験していたことが大きいと思う。
もう10年近く前になってしまうのだが、あの時もこの業界は非常に混沌としていた。
電気やインフラが止まり、イベントどころではなくなってしまった。
友達と集まって騒いだりする事も「不謹慎・自粛しろ」と言われて、暗に制限されていた事も現在の日本の状況とちょっと似ている気がする。意外と本質も近いかものかもしれない。
あんな世間の状況を経験してしまうと、PAという仕事一本で30年以上生活を成り立たせていく想像をする方が難しかった世代だといえる。
さらに言えば、たとえ保険に入っていたとしても肝心の保険会社が未曾有の大災害で無傷でいるハズがないと思い知らされたりしたことも大きい。
保険・保証を担保してくれる機関がなくなってしまえば、元も子もない。
震災の前の年には日本の銀行が経営破綻した。(日本振興銀行)
この時国内で初めてペイオフが発動されるのだが、この時になるまで誰もペイオフなんて起こるハズがないと思っていただろう。
(銀行にどれだけお金を預けていても1000万円までしか保証されない制度だよ)
ちなみのこの時は1000万円を超えた金額は58%しか返金対象にならなかったし、その1000万円だってすぐには下ろすことが出来ず、仮払金は1口座あたり60万円ほどしかなかった。
ちょっと遡ればリーマンショックだってあったし、もうちょっと遡れば神戸の震災や地下鉄サリン事件や9・11もあった。
多感な時期に普通が普通じゃないことを嫌というほど思い知らされたミドサー世代の業界人は、みんな以前よりそれぞれに行動していたことが今回のコロナ騒動で分かってきた。
みんな資産形成を頑張っていた
例えば、日本経済と一緒に自分の生活が破綻しない様に外貨を持っている人もいたし(この場合FXをしている人も含まれる)資産をビンテージの楽器で運用している人や、多くは貯蓄以外にも国内・国外の株を保有していたりした。
地方とは逆で都心の人間ほど不動産や車を所有している人は少なくて、近年の大きな災害やらランニングコストを鑑みて”住宅”というものの費用対効果を深く考えている人が増えてきたように感じる。
新型コロナの影響がこの先も長期化する様なら家賃の安い地方への移住を考えている人が多かったのも印象的で「これさえあれば大丈夫な資産」って結局のところ健康な身体・フットワークの軽さでしかないと思った。
元気があれば何でもできる
燃える闘魂より
自分の状況としては、現金預金は生活分と子供の教育費分しかしていなくて他は「バンガード S&P 500 ETF」とか「日経225 ETF」とかで運用しています。
前者はアメリカの500社の株を少しずつ買っているような銘柄。
後者は日本を代表する日経225銘柄を買っている様な銘柄。
運用次第では貯金より金額的に大きくなるので、やろうと思うと家庭によっては配偶者の説得が大変かもしれない。
ほかには趣味で仮想通貨を集めたりして楽しんでいる。
こんな風に色々考えて保険や銀行預金以外のお金の使い方を遊びながら学べたのは、今回こんな風にオンラインで連絡を取り合っている友達の影響が本当に大きい。
「自分に影響を与えてくれる友達」っていうのも強靭な資産の1つなのだろう。
それぞれにライフラインを作っていた
資産形成の他にも同年代の友達たちはみんなそれぞれのライフラインを持っている。
本業以外に稼ぐ方法を持っていたり、生活が破綻しない様に頼れる技術などを磨いていた。
具体的には為替に詳しくて外貨預金をしていた人はFXでリターンを出していたり。
ライブハウスPAは仕事の合間に執筆活動をしていたり。
レコーディングスタジオ勤務はデザインのアウトソーシングを請け負っていたり。
バンドマンは通販サイトを作っていたり。
他県の小屋付きは別業種の資格の勉強を頑張っていたりした。
その他みんなできる範囲で野菜などの食料の栽培をしていた点も見逃せない。
上級者になると固形燃料を作ってみたり、海水から塩をあぶり出すツワモノまで現れた。
このままいけば友達と居るだけで宝くじなんかに期待しなくても、遊んで暮らせる様になるかもしれない。
遊びを生活に落とし込んでいる人と一緒にいるとそういう希望が湧いてくる。
もともとバンドマン(特にパンクス)は自分でバンドのグッズを作ることが好きだったり、そもそもライフワークだったりするので「自分でやれることは自分でやる」っていう考え方の人間は本当に多い。
今回の世間の状況を見ると、どうしても行政の対応に問題がある様な意見が多い。
でも僕の周囲の人たちはみんな社会に対する愚痴や不満ではなく、
「自分の力でどうやったらこの状況を乗り越えられるのか?」
「どうやったらこの状況を楽しめるか?」
を、ものすごく真剣に考えていた。
こんな友達に囲まれて本当に嬉しいし、この人たちのライフラインに僕はなりたいし、きっと僕のライフラインにもなってくれるに違いない。
ちょっと長いけど知り合いの出てるドキュメンタリー。
お時間がある時に是非。この業界の今がわかる。
現代での個人が発信する意義・権利の行使
友達との雑談の中で「イチローくんはまた文章書かないの?」ってよく言われた。
このブログ以前より業界の会報やら友達のWEBメディアに記事を書いていたことを知っている人たちからの言葉だ。
当時は単純に誰かが困っているから、っていうのが1番大きくて文章を書いていた。
それがお金になることが分かってアウトソーシングで記事を書く様になったのはつい最近。
正直SNSもあんまり見ないしブログなんてネタもないし続かないと思っていたのだが、このブログを続けることで個人でも発信することの意味がある様な気がしてきたのでそんな話。
考えがまとまりやすくなる
自分で考えていることを文章に起こすって行為は、すごく脳トレになる気がする。
僕は仕事で月間で5〜10本くらい打ち合わせをする機会があるのだけれど、その質が上がっている気がする。
「自分の考えを他人に分かりやすい様にアウトプットする」ことが会話の大切な要素だと思うのだけれど、その辺の筋肉が鍛えられるのかもしれない。
あとはブログは会話と違ってサーバーにアップロードするまで公開されない。
何度か読み直して「誰が読んでも不快にならない様に」配慮する事もできる。
これは社会人にとっては非常に大切な要素になっているのだが、このブログの場合エッジをボカすと本当に伝えたい熱が伝わらない、と思ったことに関してはこの要素はあえて考えないことにしている。
不快にさせてしまったらすみません。でも世界中の全員に好まれる文章なんて存在しないのです。
これも看板を背負っていない個人サイトだからできる発信行為だといえる。
お金になる(かもしれない)
個人で発信することで生計を立てている人は沢山いる。
知り合いに専業のブロガーは居ないので実態はなんとも言えないのだが、お金がもらえる・もらえない、で言えばこんな簡単な即席ブログでも「もらえる」のだ。
GoogleのAdSense制度とかAmazonのassociateに関しては説明するまでもなく世間に浸透している。
他には、単純なサイト収益ではなくて「こういう仕事しているよ〜」とか「こんな商品扱ってますよ〜」でそこから本業につないでお金に変換してもいい。
今はSNSがその要素を兼ねていることが多く、自己発信から仕事を受注すること自体はもう全然珍しくない。
僕はTwitterとかInstagramに比べてブログとかnoteとかで長文を書くほうが好きだ。
重厚感がある分、読み手への熱が伝わりやすいと感じているし、それは読んでくれた人のレスポンスからも感じている。
そもそも写真を取ることがあんまり好きじゃなく故に下手くそなのでインスタは向いてないし、短文で要点を表すことが苦手で情報の精査が遅いためツイートもあまり向いていない。
こんな風に自己発信の媒体や形式は、自分の好みに応じてほとんど無限に選ぶことが出来る。
この点は長期的なマネタイズという観点から見てもメリットとしてデカい。
表現の自由という権利の行使
私、周庭は、本日をもって、政治団体デモシストから脱退致します。これは重く、しかし、もう避けることができない決定です。
— Agnes Chow 周庭 (@chowtingagnes) June 30, 2020
絶望の中にあっても、いつもお互いのことを想い、私たちはもっと強く生きなければなりません。
生きてさえいれば、希望があります。
周庭
2020年6月30日 pic.twitter.com/zEk2NwgU24
「別に自己発信なんて興味ない」
って人も多いと思うし、実際に僕の友達にもROM専の人は多い。
ブログや記事を書いてるって言ったら何故だか「うわ〜w」って言われた事もあるし、
ついでに言えば投資をしてるって言ったら「金の亡者w」って言われた事もある。
本業以外で収入を得ることに至っては拒絶反応を示す人すらいる。
しかもこれらは全然上の世代の人の反応ではなく、自分と同じ世代かむしろ下の世代の反応だったりする。
それでも現在の香港の状況などを見ていると、個人の発信は本当に尊いものだと感じるしSNSが使えなかったら民主派はここまで戦えてないと思う。
これは全く人ごとではなくて、もし自分が何か大きな力に羽交い締めにされてしまった時、叫ぶことすらもできなかったら、暗闇に閉じ込められてゆっくり死んでいくしかない。
こんなブログでも1記事書くと初日に100アクセスくらいはあって、時間が経てば拡散される可能性もある。
SNSをやっていてフォロワーの多いアカウントを持っている人はそれ以上に広がるだろう。
社会や組織で生きてくっていうことは本当にタフなことだし、大きな力にぶつかる事もある。
どうしても自分が納得できない理不尽にぶつかって、暗闇に押し込められそうになったら、僕たちはネットワーク上で叫ぶことが出来る。
SNSのフォロワーなんて薄氷の上のラッスンゴレライ的存在かもしれないが、その中にもちゃんと自分を見てくれている人だっているだろう。
そんな風に「自己発信」を「自己防衛」の観点から見直すことが必要だと考える。
なんてことない近況・まとめ
なんだか景気の悪い話ばっかり書いてしまったけれど、僕はそこそこ元気でやっています。
個人で発信する利点としては書かなかったけど、自分が父親になってから自分の考えを文章にまとめる作業がどんどんストレス解消の目的になっている気がする。
各ご家庭のパパさんも同じ様なものだと思うが、基本的に家庭内における父親の優先順位っていうのは最後の最後で完全に後回しになることがほとんどだ。
子どもの機嫌が良くて・嫁の機嫌が良くて・それで幸せ。なのだ。
その2つを保つために父親は何でもするし、何にでもなる。
そこに自分の要素は必要とされないし、主張など邪魔なだけである。
「今日こんなこと思ったんだけど〜…」と言おうとしたら、とりあえずオムツのウンコをなんとかしろと言われる。
生活は戦場である。
僕は自分がバンドをやっていて当たり前に自分の作った曲や歌詞が採用されて、それを人前で演奏することは普通の事だと思っていた。
自分の文章がサイトの一部になることが当たり前だと思っていた。
でも続いていく生活の中で「自己発信」や「自己主張」の要素は日常には含まれていないのだと気付かされた。
自分にとってアウトプットがどのくらい大切だったのか知らなかったのだ。
インプット過多の身体が浄化されるまで、僕のアウトプットは続くのだろう。
最後に最近のウチでかかっている音楽とお盆の写真。


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