結婚が廃れるのはなぜなんだろう・考察してみる”余計なお世話”
こんばんわ。ツイ廃寸前のブロガー。イチローです。
最近ブログとかSNSをがんばっているおかげで、いろんな人からオンラインで連絡をもらえて嬉しい。
嬉しすぎてちょっと脳が溶けてる。急いでシナプス繋がなきゃ。わたしは孤独の者である。
それでも人との会話ってものは、あらゆるフェーズから大容量の情報が入ってくるので、溶けた脳のスペースに容赦なく色々なテキストが入り込んでくる。
友達とか尊敬する人との会話は、クラウドスペースでファイルを共有しているものなのかも。
大切な人間が増えるってことは人生をパラレルに何パターンも体現しているのと同じで、オンライン社会の中において、オフラインでの関係構築がますます重要になってきていると感じる。
嬉しいことは2人分
悲しいことは半分
グーとスー(NHKおかあさんといっしょ/ふたりはなかよし)
オフラインの関係性においてだと、どうしても年齢的に結婚ってぇものが話題に挙がる機会が増えてくる。
結婚する人が少なくなってきて、むしろ逆に離婚する人が増えてきた現代社会。
同級生と会話していると「結婚しない人の思考がわからない」という意見もわりと聞く。
イチローの実家は北関東の山間部であるからして、とんでもねぇど田舎である。そのへんも関係しているのかもしれない。
ということで、今日はそんなことをとりとめもなく書いてみようかなと思う。
別に離婚を推奨するわけじゃないけれど、自分の周りの人たちは離婚後の方がイキイキしている人が多い。
人生はグラディウスでもロックマンでもないので、ただ前に進めばいいというものでもないみたいだ。

結婚しないよくある理由・男女それぞれの事情
なんで結婚は流行らないのだろうか?
ザックリとその理由を把握するために、とりあえずGoogle先生に聞いてみることにする。
まずは男性の結婚しない理由について。
- 1人が楽しすぎて今更誰かと共同生活を送る気になれない
- 結婚にメリットを感じない
- 自分が結婚に向いているとは思えない
ちょっと調べて出てきたのはこんなところですかね。
あー。わかる。わかるよぉ。イチローもひとり時間が大好きだから。
わかるよぉ。痛いほどわかる。
ってことで次は女性の結婚しない理由について。
- 1人が楽しすぎて今更誰かと共同生活を送る気になれない
- いい人がいない
- 結婚後の人間関係が憂鬱
男女ともに結婚しない理由として挙がる代表的なものは「1人でも充実している」という要素。
男性は、ひとりの時間や趣味に当てる予算が減ってしまったりすることが不満らしく…
女性は、築いてきたキャリアや、やりがいのある仕事を失うかもしれない不安・親戚づきあいへの懸念があるみたい。
まぁいずれにせよ「個の充実」ってものと「メンドくささ」が結婚の大きな障害になっているみたいだ。

ポジティブな男らしさ・女らしさ
以前このブログで性差別について記事にしたことがある。
そこでも話した内容だけど、意味のない性別の振り分けってものは、幼少期から周囲の大人によって無意識的に行われる。
つまり「男性らしさ」とか「女性らしさ」っていうのは人間にとって二次的な人工物であると思える。
例えばこの辺の「らしさ」をポジティブに捉えて実例で否定するなら、「手芸が得意な男性」を自分は仕事柄たくさん知っているし、「ベンチプレスを上げる女性」だってたくさんいる。
わざわざ男女が「自分に欠けているもの」として性差別を刷り込まれて育つのは、持ってないものへの憧れが「他者への欲求」になり、種の存続に一役買っているのだろう。
人間は宗教の発祥のせいで本能を飼いならす生き方が主流になったため、性的欲求以外の方法に訴えかけないと種が途絶えちゃうのかもね…
ってところまでは書いてみた。
基本的に脳内がお花畑なタイプなイチローは考察の踏み込みがいつも甘いけれど、今日はまだ眠くないのでもう少し考えてみることにする。

ネガティブな男らしさ・女らしさ
そもそもさっきまで話していた「男女らしさ」っていうのは現在社会において、ネガティブな要素の方がピックアップされやすいことに気付く。
最近は家事のできない男は恋愛対象から外れがちだし、自己主張や参加意識の低い女性が出世することはほぼないだろう。
このような社会の傾向を考えるに、男女とも「男女らしさ」をなくしてしまうことが、効率よく生きていく手段のように思えてくる。
男女の垣根を超えて「完成された生命」になることが資本主義社会の中で暗に求められている。
その結果「スイーツの食べ放題」に男性だけで入店することだって普通の光景になったし、
「ソロキャンプ」を女性1人でこなすことだって当たり前の社会になったのだ。
自分の中の異性っぽさを解放することのできる世の中では、近年まで発揮されていた「異性への幻想」を抱く状況が訪れにくい。
そもそも、その必要性すらなくなってしまったのではないだろうか。
「手芸」に例えたり「ベンチプレス」に例えたり「スイーツ」に例えたり「ソロキャンプ」に例えたり、分かりづらくて申し訳ないけど文章のリズム上こうなってしまうことがある。ほげほげ。
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本当は怖い「当たり前」や「普通」・異性愛至上主義・LGBTQについて
ここまで考察してみて、結婚や恋愛に対して必要性や意味を感じなくなる人が多く出てくることに関して、むしろ何の不思議もないように思えてしまった。
ここで出てくる懸念としては、結婚に対して…「男性はATMになるしかないのか?」とか「女性は家事から解放されることはないのか?」みたいな意見になるのかなと思う。
この脳内会議でも気付くことがある。
性的な幻想や欠乏のない男女が、勝手に適齢期に結婚する事が当たり前の感覚が、もしあるとして。
それは「異性愛至上主義」みたいな思想にあたってしまう気がしてくる。
現在は国や場所にもよるけれど、結婚制度のあり方の見直しが急速に進んでいて、同性間でも婚姻関係やそれに準ずる形をとることができる地域や自治体も増えてきた。
LGBTQに対して、これからも理解を進めていかねばならないことを考えると、適齢期〜的な発言は「異性愛至上主義者の言葉」として受け取られてしまうのかもしれない。ダイバーシティってむつかしいですね。
自分に欠乏している点や補って欲しい点を異性に求めるという行為が、現代人の「生命としての自立」によって打ち消され、むやみに異性を追いかける必要性や理由がなくなってしまっている。
そして欠乏のない人間が、趣味・仕事・友達・SNSなどで満たされてしまう。
そりゃ結婚なんて流行らないよね。
資本主義と豊かさ・揺れる結婚の意味・まとめ
ってことで今日は結婚について小一時間考えてきました。
「男女らしさ」という無意識の刷り込みが、個人個人の多様な価値観によって事実上形骸化してしまっている。
ってのが「結婚しないカップルが増えている理由」として考えられる。
いまのところイチローの考え方はこんな感じ。タヨウセイってむつかしいですね。
これもこの前書いたけど結局のところ結婚ってものは、人間の発揮する豊かさによって支えられてきた制度だ。
資本主義社会において結婚制度が衰退していくのは当然といえば当然なのかもしれない。
結婚をはじめとするオフラインでの人間関係っていうのは、関わっている人間どうしによって問題点も違うし一律で考えることはできそうにないけど。
婚姻関係みたいな目に見える形で数値化して誰かと交換したり比較したりすることはできないものに関しては、効率やメリットを求めるよりも「お互いが豊かになれる」ことが重要なのではないでしょうか。
今日は真面目だったね。
さすがに眠いので寝ます。
長文お疲れ様でした。いつもありがとうございます。
おやすみなさい。
「早く結婚しなくて、だいじょぶなの?」と、おでん屋のカウンターで中年のやたらと身なりに気を使った上司らしい男の人が若い女の人に述べていたりするのを聴かされると、
まるで無関係な外国人にすぎないこちらが、「おまえこそ、頭、だいじょうぶか?」と聞いてみたくなる。
日本は訪問するには最高に楽しい国だが、住むのは、やっぱりちょっと無理だよね、と納得する契機に、よく、なっていた。
ある外人さんのブログより

コメント
コメント一覧 (1件)
[…] 実際に未婚の友達からなんかは「結婚や子育てにメリットを感じない」という意見も多く聞くし、色々なケースを見ていく中で「子どもが大切でない親」は確実にいると感じる。 […]